国産4×4年表 [1950年代]
4×4
1951年
(N)トヨタ ジープBJ

B型直6/3,386㏄・G/Eを搭載。乗車定員2名。7月、国家警察立ち会いの運行試験に参加。8月、富士山6合目までの登坂テストを行う。1954年6月「LAND CRUISER」と命名される。
(N)日産 パトロール4W60

NT型直6/3,670㏄SV(サイドバルブ)・G/Eを搭載。乗車定員4名。7月、国家警察立ち会いの運行試験に参加。8月、富士山6合目までの登坂テストを行う。トヨタジープBJ、日産パトロール4W60ともに優秀な成績を収めるものの、結果的に三菱ジープが米軍経由で供与されることに決定する。
1953年
(N)三菱 ジープCJ3A-J1/J2
「ウイリス・オーバーランド社」との提携によるノックダウン生産でジープ第1号車が完成。林野庁と保安隊に納入。前者をCJ3A-J1、後者をCJ3A-J2と呼ぶ。ウイリス442「ゴーデビル」L型ヘッド4気筒2,199㏄・G/E搭載。
(M)三菱 ジープCJ3B-J3

アメリカでのCJ3Bの登場にあわせ、日本国内もCJ3Bとなる。9月、技術提携契約が発効、板金から始めて徐々に国産かを進め、’56年、全国産化を果たす。国産化エンジンを三菱ではJH4型と呼ぶ。F型ヘッド4気筒2,199㏄・G/E搭載。後、’61年に右ハンドル車になる。
1955年
(M)トヨタ ランドクルーザー20(FJ25/BJ25)

ホイールベースをBJ型の2,400mmから2,285mmに短くして機動性を向上。FJ25は、F型直6/3,878㏄OHV・G/Eを搭載した。なお、BJ25のエンジンはB型・G/Eである。トヨタの海外進出の基礎固めを果たしたのがこの20系モデル。
(M)三菱 ジープCJ3B-J10
J3のホイールベースは変えず、荷台部分だけを後方に延長し、後部対向シートを4人掛け(乗車定員6名)として発表された。JH4型・G/E搭載。左ハンドル。20系の前身。
1956年
(M)三菱 ジープCJ3B-J11
J3のホイールベースを610mm延長し、5名乗車+250kg積みにした、2ドアメタルトップ。JH4型・G/E搭載。2トーンカラー、左ハンドル。30系の前身。
(M)トヨタ ランドクルーザーFJ28
ミドルサイズのランドクルーザー登場。ホイールベースは2,430mm。F型直6/3,873ccOHV・G/E搭載。
1958年
(M)三菱 ジープJC3/JC10
三菱ジープにディーゼルエンジン車登場。KE31型直4/2,199ccOHV・D/Eを搭載。JC3は’61年に右ハンドル車になる。
1959年
(M)トヨタ ランドクルーザー30(FJ35V)

ロングホイールベースのバンモデル登場。4ドア。2月から8月の半年間のみ生産された。F型直6/3878ccOHV・G/E搭載。
(M)日産 パトロール4W66
2ドアショート、乗車定員は6名。MC型直6/3,956ccSV・G/Eを搭載。
ニュース・世相
1950年
- 朝鮮戦争(6・25戦争)勃発
- 警察予備隊発足
1951年
- サンフランシスコ条約調印
- 民間ラジオ放送開始
1952年
- ホンダ・カブ発売
- 羽田空港が米軍から返還、東京国際空港に
1953年
- 朝鮮戦争、休戦協定調印
- 国産初の白黒テレビ発売
1954年
- ビキニで水爆実験、第五福竜丸が被曝
- 陸・海・空3自衛隊発足、日本再軍備へ
- 東京・日比谷公園で第1回モーターショー開催
1955年
- 神武景気始まり家電化時代到来
- 1956 日ソ国交回復
- 太陽族スタイル流行
1957年
- ホッピングが子どもたちの間で一大ブームに
- ソ連が史上最初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功
1958年
- インスタントラーメン第1号「チキンラーメン」発売
- 東京タワー完工式
1959年
- 伊勢湾台風(死者・行方不明者5,098人)
- 皇太子と正田美智子さんご成婚、テレビ買い求め急増
4×4以外の主な乗用車
1953年
- いすゞ ヒルマンミンクス(PH10)
1954年
- トヨタ トヨエース
1955年
- スズキ スズライト(SL)
- トヨタ トヨペットクラウン(RS)
- トヨタ トヨペットコロナ(ST10)
1957年
- スバル360(K111)
- ダイハツミゼット(DKA)
文中内記号:N:ニューモデル F:フルモデルチェンジ M:マイナーチェンジ A:車種追加 G/E:ガソリンエンジン D/E:ディーゼルエンジン



